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恩師

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平成23年度京都府秋季高校野球大会は、鳥羽が立命館を4対3で下して、11年ぶり4度目の優勝を果たした。
試合は1対0と鳥羽のリードで迎えた8回表、立命館が一気に3点を入れて逆転したが、鳥羽・山田知也監督は冷静だった。
「相手は投手が代わるし、絶対に流れが変わる。あと2回もあるんだから、焦らずに自分たちの野球をしよう」
 指揮官のこの言葉と自分たちの力を信じ、鳥羽ナインは土壇場に3点を入れて、劇的な逆転サヨナラ優勝を飾った。

 現在は洛北高校野球部の副顧問を務める足立有美先生は鳥羽の優勝をスタンドから見届けた。山田監督は足立先生が前任校の西城陽で女性部長をしていた時代の教え子である。
「山田は入学した時から他の生徒とは違う雰囲気を持っていた。頭が良くて、周囲を気遣える生徒だった。だから入学直後から円山監督(現東稜高校副校長)と将来の主将候補として英才教育をした」
 足立先生のその期待に応え、キャプテンとなった山田監督は3年の夏にベスト4に進出。翌年、西城陽にとって初めてとなる甲子園出場の礎を築いた。
 山田監督は一浪後に入学した京都教育大学でも主将を務め、4回生の時、全国大学野球選手権で国公立大学としては史上初のベスト8に進出。その歴史的快挙が達成された日、足立先生はいてもたってもいられずに新幹線に飛び乗って神宮に向ったという。
「その新幹線で円山先生とばったりと顔を合わせた。円山先生も私と同じ気持ちやったんやね」

 そして今日の決勝戦、足立先生は「試合をまともに見られそうにない」と、球場には行かないつもりだった。
 足立先生は今年、最愛の母を癌で亡くしている。その仏前に線香を供え、教え子の勝利を祈っていると、ふと今日の試合を見届けないと一生後悔するかもしれないと思い立ち、家を出た。新幹線に飛び乗った時と同じように。
球場に到着した時、決勝戦は中盤の5回に入っていた。足立先生はスタンドの最上段付近から、山田監督の両親とともに試合を観戦。8回に逆転を許しても、「立命館は代打や代走で選手がたくさん代わったから、試合はまだまだ動く。焦る必要はない」と、自分に言い聞かせるように、教え子と同じ言葉を呟いた。

試合後、球場前で選手たちが保護者やファンに囲まれて歓声が上がっていた時、すっかり人気がなくなったわかさスタジアムの通路で恩師と教え子は再会した。
「よう頑張ったな」
 涙で顔をクシャクシャにして教え子を抱擁した後、足立先生は恩師の表情に戻った。
「京都の優勝校として近畿大会に行くんやから頑張らなあかんよ」
 来年の春、聖地・甲子園での再開を約束して、恩師と教え子を熱い握手を交わした。
# by kyotobaseballclub | 2011-10-10 18:20 | 平成23年京都府秋季高校野球

達成感

夏の甲子園大会の開幕が一週間後に迫った七月三十一日。甲子園球場から直線で約三キロの距離にある鳴尾浜球場に足を運んだ。
鳴尾浜球場は阪神タイガース二軍の本拠地であり、今日は中日ドラゴンズとの二軍戦が行われる。阪神の先発投手は、昨年、高卒ルーキーながら四勝を挙げた秋山拓己。対する中日ドラゴンズの先発投手はドラフト一位サウスポー、ルーキーの大野雄大である。
大野がマウンドに登る姿を見るのは、昨年の八月十九日にわかさスタジアム京都で行われた全京都大学野球トーナメント大会の龍谷大戦以来のことだから約一年ぶり。この試合で大野は延長十回を投げて一失点と好投したが、その夜、大野の左肩が悲鳴を上げたのだ。

今年の新人はまさに大豊作で、数多くのルーキー達がしっかりとした戦力として大活躍している。澤村、斉藤、榎田、福井といったルーキーたちの名前が毎日のように紙面を飾っているが、そんな中、中日ドラゴンズの一位ルーキー大野雄大は一軍はもちろん、二軍のマウンドにも登れずに、リハビリを兼ねたトレーニングを黙々とこなす日々をすごしていた。
だが六月二十五日、大野はようやくマウンドに帰ってきた。大野は地元のクラブチームであるジェイプロジェクトとのプロアマ交流戦で先発投手として登板。二回に満塁ホームランを浴びてしまったが、遅ればせながら、ようやくプロ野球選手としてのスタートを切った。
大野はその後、徐々に投球回数を伸ばしていって、七月十八日の広島戦では五回を二失点に抑えて二軍戦ではあるがプロ入り初勝利を記録。一軍で活躍するルーキーたちの取り上げられ方とは比べ物にならないけれど、スポーツ新聞の片隅に小さく掲載されている二軍戦の試合結果を見て、中日ドラゴンズ・大野雄大の写真を一度撮ってみたいなと思っていた。

その思いがようやく実現した。これまで京都外大西、佛教大のユニフォームを着た大野の姿をレンズ越しに見てきたけれど、鳴尾浜球場の先発マウンドに登る大野の姿を一目見て、中日ドラゴンズのユニフォームが一番似合っていると思った。
これまで大野を撮影してきた写真の枚数は、数えた事がないから正確には分からないけれど、数千枚、いやもしかすると数万枚になるかもしれない。それほど膨大な写真を撮影して成長を見続けてきた選手がプロ野球選手としてマウンドに登る姿を見た時、胸にこみ上げてくるものがあった。それはもちろん喜びの感情が大半であるが、もうひとつ、僕の中で大野雄大を撮影するのは今日が最後という思いがあったからだ。大野はプロ野球選手になった。これからは僕のようなアマチュアではなく、プロのカメラマン、それも日本だけでなく、世界の有名なプロスポーツカメラマンから撮影されるアスリートにならないといけない。

大野は投球フォームに癖があって、格好いい写真を撮るのにとても苦労する投手だ。僕はファインダーを覗き込み、目と指先に染み込んでる大野独特のタイミングでシャッターを切っていく。鳴尾浜球場の小さなスタンドを埋め尽くした熱狂的なタイガースファンの「お前は中日ファンか!?」という冷たい視線に、「僕は小林が江川とトレードされた時代からの阪神ファンですよ」と笑みを返しながら。

鳴尾浜から帰って、達成感に浸りながら撮影した写真を整理していると、携帯に着信が入った。画面を確認すると大野からの電話だった。今日の試合で七回を投げ、二失点の好投で二勝目を挙げた大野は、明日も試合を残すチームを離れ、一足はやく名古屋に帰っているという。
「今日はありがとうございました。もうすぐ一軍に上がれると思うんで、また写真お願いします」
大野はいつの間に人の心が読めるようになったのだろう。

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# by kyotobaseballclub | 2011-07-31 23:13

10年ぶりの甲子園

長らくご無沙汰してしまいましたが、夏の京都大会も終わったので、ぼちぼち更新していこうと思います。

ここ数年、夏の京都大会は雨に悩まされる年が続いたが、今年は台風の影響で2日間中止となった以外は天候に恵まれた大会となった。天気が安定していたから僕の観戦予定も例年になくスムーズに消化ができて、14日間のうち12日を観戦することができた。
今年の大会は原点に帰り、1校でも多くのチームを撮影しようと計画を練った。その甲斐あって、78校のうち半数を超える46校の試合を撮影することができた。ひと夏でこれほど多くの学校を撮影できた大会はちょっと記憶にない。相変わらず失敗はたくさんあったけれど、撮影枚数が多かった分、印象に残る写真もいつもの夏のよりも多かったように思う。

ご存知のとおり、夏の京都大会は龍谷大平安の優勝で幕を閉じた。今年の龍谷大平安は2年生主体の若いチームであるが、苦しい試合を経験することで大会の中で3年生と2年生が上手く融合し、勢いに乗って京都の頂点に昇り詰めた。
今年の龍谷大平安の戦いぶりを見て、ちょうど10年前の夏を思い出した。
2001年、第83回大会の平安は今年のチームとよく似た、今浪(日本ハム)、高塚(トヨタ自動車)ら2年生が主力の若いチームだった。
原田監督いわく、その2年生たちがとても生意気でなかなかチームはひとつにまとまらなかった。原田監督は「2年生に腹が立っても、絶対に喧嘩はするな」と、当時の主将に何度も釘を刺したという。
その主将が夏の大会前の壮行会の席で、「3年生の力だけでは甲子園には行けない。だから2年生に力を貸して欲しい」と頭を下げた。主将のこのひと言でチームはひとつにまとまり、平安は夏の京都大会を勝ち抜いた。その当時の主将が、今年から部長に就任した森村俊輔さんである。

この夏の龍谷大平安ベンチを見ていると、森村部長が率先して選手たちに声をかける姿が何度も見られた。自身が苦労した経験から、3年生と2年生の繋ぎ役を買って出たのだろう。好調な久保田、高橋ら2年生と比べると今ひとつ調子に乗れていなかった主将の小嶋が、決勝戦の6回に試合をほぼ決定付けるタイムリー二塁打を放った時、きっと森村部長は自分がヒットを打った以上の喜びを感じたことだろう。面白いなと思うのは、森村主将が甲子園出場を決めた10年前の決勝戦の相手も、今年と同じ立命館宇治だった。
ちなみに10年前の甲子園大会で平安は酒田南、金沢に勝ってベスト8に進出した。今年の龍谷大平安は例年と比べるとミスも目立つが、それを帳消しにできる勢いがあるし、まだまだ伸び代があるように思う。10年前を越える甲子園での活躍を期待したい、

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# by kyotobaseballclub | 2011-07-26 23:23

最高試合

20日は京滋大学野球秋季リーグの優勝決定戦を見に草津グリーンスタジアムに行ってきた。佛教大学と京都学園大学はこの春も最終節で勝ち点を取った方が優勝という激しい闘いを演じたが、この秋は更に激戦で全日程を終えて両校が勝ち点、勝率で並び、今日のプレーオフで勝った方が優勝という大一番となった。

僕はここ数年、京滋リーグの試合に頻繁に足を運んでいたが、観戦歴はそれほど古くない。甲子園に出場した京都外大西の北村(びわこ成蹊スポーツ大)や立命館宇治の早田(大谷)を追いかけての事だから、まだ5、6年といったところだ。
斉藤効果のお陰か、今でこそ大学野球もマスコミに大きく取り上げられるようになったが、5、6年前の大学野球の人気といえば高校野球の足元にも及ばず、ましてマイナーリーグと言われる京滋リーグは尚更の事で、平日に太陽ケ丘で行われた試合では、大袈裟な話ではなく、指で数えられるぐらいの観客しかいなかった事もあった。

パンフレットを見ると、昔は京都教育大が強かった時代もあったようだが、僕が見始めてからの京滋リーグはまさに佛教大の天下で、無敵状態を誇っていた。他の5チームと比べると佛教大の戦力は1枚も2枚も上手だったが、佛教大が強いというよりも他のチームが弱いと思うことが度々あった。
例えばあるチームが佛大戦で序盤にリードをしていても全く勝てる気がしない。いつかはミスが出て自滅するだろうと思っていると、本当にその通りになってしまうことが何度も何度もあった。
「佛大には負けて当たり前や」
そんな風に初めから諦めているチームメイトが物凄く歯痒かったと、北村と早田が話していた事がある。だが彼らを中心にチームの意識改革が進み、少しずつ佛教大と他のチームとの差が縮まっていった。

そのようにして徐々に盛り上がりを見せてきた京滋リーグに1人のスター選手が現れる。佛教大の大野雄大である。大野は昨年の全国大会で大ブレイクし、一躍ドラフト1位候補に名乗りを上げ、それまでは京滋リーグに見向きもしなかったマスコミやスカウトがこぞって球場に集まるようになった。
今年の春、球場に顔を見せた早田が、バックネット裏にずらりと並ぶスカウトを見て「京滋にもプロのスカウトが来るようになったんですね」と自分のことのように喜んでいた。
大野の登場で京滋リーグのレベルはグンと上がったように思う。特に顕著だったのが京都学園大で、それまではパワー頼みの荒削りな野球が、大野を倒すために緻密な野球へと変貌していった。そして佛教大とプレーオフで優勝を争うまでになったのだ。

今日の草津グリーンスタジアムは平日にも関わらず、スタンドはほぼ満員で、緊張感が漲る熱気の中、プレーオフが行われた。
残念ながら今日のマウンドに大野の姿はなかったが、打倒・佛大、打倒・大野を目指してきた京都学園大は攻守に素晴らしいプレーを連発し、佛教大を追い詰める。そんな京都学園大の勢いを佛教大は王者の意地で受け止めた。
僕は今日の試合を一塁側ベンチの上から撮影していたが、気が付けば掌にじっとりと汗をかいていた。こんな緊張感のある試合を京滋リーグで見る事が出来るなんて5、6年前ではとても考えられなかった。今日の試合は、僕がこれまで見てきた京滋リーグの試合の中で文句なく最高試合だと言えるだろう。
1球ごとにスタンドは大きくどよめき、両校の選手たちは喜びを爆発させる。まさに最高試合であった。
試合は4対4の同点で迎えた9回裏、京都学園大が一死満塁の大チャンスを迎える。このチャンスに、これまで佛教大の前に涙を飲み続けた森(4年・滋賀学園)がセンターへ弾き返して、この秋に主将に就任した後藤(3年・鳥羽)が草津の空に何度も舞った。

佛教大はこの春の優勝でリーグ戦は8連覇を達成した。つまり、大野をはじめとする4年生は大学入学後、1度もリーグ戦で負けたことがなく、森、野口(4年・帝京弟五)といった京都学園大の4年生は大学入学後、1度もリーグ戦で勝った事がないのだ。
7回連続で負け続け、大学野球最後のシーズンで初めて優勝する経験も素晴らしいし、7回連続で勝ち続けながら、最後の最後で負けて大学野球を終える経験も素晴らしいと思う。何のわだかりもなく素直にそう思えるのは、何度も言うが、今日の試合が最高試合であったからだろう。

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# by kyotobaseballclub | 2010-10-21 00:41 | 大学野球

7年間の感謝

今日、わかさスタジアム京都で京滋大学野球第7節の2回戦が行われ、第2試合で佛教大が京都学園大に5対1で勝った。
今日の試合で京都学園大が勝っていれば9季ぶり6度目の優勝が決まるところだったが、これで優勝の行方は明日以降に持ち越しとなった。明日、正午から佛大グラウンドで行われる3回戦に佛教大が勝てば9季連続49度目の優勝が決定。京都学園大が勝てば勝ち点、勝率で両校が並び、プレーオフが行われる。

第2試合が終わり、撮影機材を撤収しようとしていた時だ。3塁側の佛大ベンチから2人の4年生がトンボを持ってグラウンド整備に向う姿が見えたから、直しかけていたカメラをセッティングし直した。整備に向ったのは大野雄大と村田良介の2人の4年生である。
ご存知の通り、28日に迫ったドラフト会議で1位指名が有力視されている大野は、左肩の違和感からこの秋は1度もマウンドに立っていない。大野の現状については、ドラフト前にノンフィクションをアップ予定なのでここでは省略させて貰うが、今日の大一番にもマウンドに立てなかった大野は、村田と並んで試合で荒れたわかさスタジアムのグラウンドを入念に整備していた。

大学野球で試合後のグラウンド整備は試合に出ていない下級生の仕事と相場が決まっていて、背番号を背負う4年生がトンボを手にする姿なんて1度も見た事がない。事実、2人がグラウンド整備をしていることに気付いた京都学園大の下級生選手が慌てて大野と村田のもとに駆け寄ったが、2人はなかなかトンボを離そうとしなかった。
でもなぜ大野と村田はグラウンド整備に向ったのだろう。その事に特に深い意味はないのかもしれないが、僕は西京極、わかさスタジアムに対する感謝の気持ちが、2人にトンボを握らせたのではないのかなと思った。
京都外大西出身の大野と京都すばる出身の村田は、高校時代から通算して7年間、この球場で青春を過ごした。この球場は2人の野球人としての成長を7年間見守ってきたのだ。

今から4年前の夏、違うユニフォームを着た2人は夏の大会の準々決勝で顔を合わせ、京都高校野球史に残る死闘を演じた。新鋭の京都すばるは3連覇を目指す京都外大西を土壇場まで追い詰めたが、最後の最後で京都外大西が底力を発揮し、京都すばるの挑戦を退けたのだ。
この試合、京都外大西の最後にマウンドに立っていたのは北岡、本田に続く3番手と言われ続けた大野だった。大野は土壇場で仲間が逆転してくれた僅か1点のリードを渾身のピッチングで守り切り、マウンド上で男泣きした。
僕は大野が佛大のエースとなって全国大会で記録した3試合の完封勝利をすべて観戦しているが、その3試合よりもあの京都すばる戦が大野のベストピッチングだと思っている。あの試合の大野は魂のこもった凄まじいボールを投げていた。

優勝を決める大一番はまだ残っているが、2人がこの球場の土を踏みしめるのは恐らく今日が最後だろう。2人は7年間の成長を見守ってくれたこの球場への感謝の気持ちをトンボを通じて伝えたかったのかもしれないと思った。

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# by kyotobaseballclub | 2010-10-17 23:11 | 大学野球